鳥羽伏見戦跡・小枝橋・鳥羽離宮公園
今日は京都市の南のエリアに足を延ばしました
地下鉄「竹田」駅から徒歩15分。
京都検定でもお馴染みの「鳥羽伏見戦跡」
かつての小枝橋の東側、鳥羽伏見戦跡の石碑があります。
旧小枝橋風景図
〜小枝橋について〜
その昔京都(平安京)への渡り口である小枝橋はいい伝えによりますと抗を打った上に板を渡した木の橋であり、その後昭和のコンクリートの橋が出来る迄は土を固めた土橋であったと伝えられています。この橋は京都が都と云われた時代には重要であり、当時大阪(浪速)に渡来した大陸からの文化はすべてこの橋を渡って渡来して来たものと思われます。当時庶民にとっては何かにつけて都は憧れであり、西方からの旅人はこの橋迄たどりつく事により安堵したとの事です。そして以前は時により鴨川が氾濫して橋が流された様です。又、明治維新や日本赤十字の創設の原因を作った戊申戦争の戦端が開かれた場所でもあります。
昭和に入って交通機関の発達する迄は小枝橋を荷車や歩行の人々が利用していました。現在は地元民や伏見地域の人々は元より東西南北の通過橋としてかけがえのないふれあいとコミュニケーションが保たれる橋として役立っています。
橋長・・・123m
全幅員・・・5.3m
撤去年月・・・2002年3月
新しく架け替えられた小枝橋は、元の位置から少し上流にあります。
鳥羽離宮公園
鳥羽殿・築山跡の遺構と考えられている「秋の山」に建つ「鳥羽伏見戦跡碑」
鳥羽伏見の戦 勃発の地 小枝橋
鳥羽・伏見方面戦闘図
こんな形で幕府軍(徳川幕府・会津・新撰組)と官軍(薩摩・長州・土佐藩)が戦ったのですね。
大河ドラマ「八重の桜」でもそのうち出てくる場面なのでしょう。
八重さんの弟の三郎さんの勇姿がどのように描かれるのか・・・・あぁ
戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の勃発地。
この地で戦いの火蓋が切られた考えるとなんとも身につまされる思いがします。
私が生まれる100年前の出来事。
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