2013年07月16日
繁昌神社(はんじょうじんじゃ)
これまた塩原先生の講習会にて紹介された神社。繁昌神社にも寄りました。

清和天皇の代(在位858年〜876年)、藤原繁成と言う人の邸宅の庭に功徳池(くどくいけ)という池がありました。延喜年間(901年〜922年)、その中島に安芸の宮島より市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たきづひめのみこと)の三神(市杵島姫命は仏教でいう弁財天)を勧請したのが始まりです。
その後、真言宗のお寺が管理されて功徳院と呼ばれた時期もありましたが、明治政府の神仏分離令の後、神社だけが残ったそうです。

この繁昌神社は今年72年ぶりに神輿巡行が復活されたのだそう。
今年の繁昌祭は2013年5月19日開催。
11時から船鉾出囃子演奏、13時から黄金の神輿が巡行したそうです。
塩原先生に教えて頂いた「班女石(塚)」はここから北上して西に少し曲がったところ、歩いて5分程の距離だそうです。
未婚の女性が班女石を訪れると結婚出来なくなるという伝承もあります(^_^;)
私は既婚ですけど
そんなお話を聞くとやはり足が遠のいてしまいました

清和天皇の代(在位858年〜876年)、藤原繁成と言う人の邸宅の庭に功徳池(くどくいけ)という池がありました。延喜年間(901年〜922年)、その中島に安芸の宮島より市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たきづひめのみこと)の三神(市杵島姫命は仏教でいう弁財天)を勧請したのが始まりです。
その後、真言宗のお寺が管理されて功徳院と呼ばれた時期もありましたが、明治政府の神仏分離令の後、神社だけが残ったそうです。

この繁昌神社は今年72年ぶりに神輿巡行が復活されたのだそう。

11時から船鉾出囃子演奏、13時から黄金の神輿が巡行したそうです。
塩原先生に教えて頂いた「班女石(塚)」はここから北上して西に少し曲がったところ、歩いて5分程の距離だそうです。
未婚の女性が班女石を訪れると結婚出来なくなるという伝承もあります(^_^;)
私は既婚ですけど

そんなお話を聞くとやはり足が遠のいてしまいました

2012年10月23日
若一神社(にゃくいちじんじゃ)
平家ゆかりの地を訪ねて・・・続き
208のバスを使ってぐる〜と西大路八条まで向かいました。


平安末期に平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まり。
以後清盛の勢威がのびたというので開運出世の神として崇められています。
ご本殿

平相国平清盛公

若一神社御神水

平清盛公が熊野詣での折、御神託により西八条殿内に隠れたる御神体を世に出し、社殿を建立し奉斎して以来、日供祭(にっくさい=毎朝行われる崇敬者の安寧を祈るお祭り)にて御神前に供えられてきた御神水。古くから銘水として知られる地下水で、開運出世の水として、新生児誕生に際しての産湯としても有名です。運が開けたなど御神水による様々な奇跡が広まり、水を汲む人々の跡が絶ちません。水はお持ち帰り自由だそうです。
楠社(くすやしろ)

樹齢800年を超す大樹で、西八条殿に平清盛公が太政大臣に任ぜられたのに感謝してお手植えされたもので、若一神社の御神木です。
208のバスを使ってぐる〜と西大路八条まで向かいました。


平安末期に平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まり。
以後清盛の勢威がのびたというので開運出世の神として崇められています。
ご本殿

平相国平清盛公

若一神社御神水

平清盛公が熊野詣での折、御神託により西八条殿内に隠れたる御神体を世に出し、社殿を建立し奉斎して以来、日供祭(にっくさい=毎朝行われる崇敬者の安寧を祈るお祭り)にて御神前に供えられてきた御神水。古くから銘水として知られる地下水で、開運出世の水として、新生児誕生に際しての産湯としても有名です。運が開けたなど御神水による様々な奇跡が広まり、水を汲む人々の跡が絶ちません。水はお持ち帰り自由だそうです。
楠社(くすやしろ)

樹齢800年を超す大樹で、西八条殿に平清盛公が太政大臣に任ぜられたのに感謝してお手植えされたもので、若一神社の御神木です。
2012年08月07日
五條天神宮
元職場の先輩方とのランチ集合の前に夏旅の「長江家住宅」に行こうかと。
拝観時間には少し早いので、五条駅で降りてぐるぐる散策しながら上がります。
丹波国亀山藩京屋敷跡⇒松原道祖神社⇒親鸞聖人御入滅之地をチラ見して・・・
五條天神宮へ

通称「天使の社(てんしのやしろ)」と呼ばれています。
牛若丸(義経)と弁慶が初めてあったのがここであるという説もあるそうです。
毎年節分の日には宝船のミニ色紙が授与されます。この宝船の古図は日本最古のもので、船に稲穂を一束乗せただけの簡素なもので、厄除・病除のご利益があります。
節分の時は是非立ち寄りたいところですね。
五條天神宮
住所:京都市下京区西東院通松原角
TEL:075-351-7021
拝観料無料、境内参拝自由
その後は、菅大臣神社⇒菅家邸址⇒紅梅殿⇒三丘園(写真のみ)⇒杉本家住宅(写真のみ)⇒大原神社をまわりました。
拝観時間には少し早いので、五条駅で降りてぐるぐる散策しながら上がります。
丹波国亀山藩京屋敷跡⇒松原道祖神社⇒親鸞聖人御入滅之地をチラ見して・・・
五條天神宮へ

通称「天使の社(てんしのやしろ)」と呼ばれています。
牛若丸(義経)と弁慶が初めてあったのがここであるという説もあるそうです。
毎年節分の日には宝船のミニ色紙が授与されます。この宝船の古図は日本最古のもので、船に稲穂を一束乗せただけの簡素なもので、厄除・病除のご利益があります。
節分の時は是非立ち寄りたいところですね。


住所:京都市下京区西東院通松原角
TEL:075-351-7021
拝観料無料、境内参拝自由
その後は、菅大臣神社⇒菅家邸址⇒紅梅殿⇒三丘園(写真のみ)⇒杉本家住宅(写真のみ)⇒大原神社をまわりました。
2011年10月15日
渉成園(しょうせいえん)
いつかは行こうと思っていた渉成園。
なかなかチャンスがなかったのですが、今回は是非
と訪れました。

池泉回遊式庭園をもつ東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地(別邸)。
1641年に三代将軍・徳川家光から宣如上人がこの土地を与えられ、
石川丈山の趣向を取り入れて作られたお庭です。
名称は中国六朝時代の詩人・陶淵明の「園日渉而成趣」の詞にちなんでいます。
平安時代前期には左大臣・源融(みなもとのとおる)が営んだ「六条河原院」の
旧蹟であったという伝説もあるとか。
拝観料500円を支払うと、こんなに立派なガイドブックが贈呈されます

入口を入るとすぐに大きな桜の木が

桜の名所ですもの。春は素敵な光景でしょうね。
高石垣

枳殻

実もなっていました。

周囲に枳殻が植えてあったことから、別名「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれています。
渉成園十三景・滴翠軒(てきすいけん)

十三景・傍花閣(ぼうかかく)

渉成園のシンボルともいえる楼門です。
十三景・回棹廊(かいとうろう)

唐破風屋根が味わいを出しています。

駅から徒歩10分の立地なので、京都タワーも見えます。

十三景・侵雪橋(しんせつきょう)

都会の中のオアシス・・・といえば良い表現ですが
これだけ美しい庭園ですのに、マンション等の高い建物が背景に
どど〜んとあるのはなんというか
堤先生が言われていた「残しておきたい景観」に選ばれているのもうなづけます。
昔からの景観を残していく事はなかなか難しいことでしょうが、
色々と考えさせられました
渉成園
住所:京都市下京区下珠数屋町通間之町東入ル東玉水町
TEL:075-371-9210(東本願寺本廟部参拝接待所)
拝観時間:9:00〜16:00
拝観料:500円以上
なかなかチャンスがなかったのですが、今回は是非


池泉回遊式庭園をもつ東本願寺(真宗本廟)の飛地境内地(別邸)。
1641年に三代将軍・徳川家光から宣如上人がこの土地を与えられ、
石川丈山の趣向を取り入れて作られたお庭です。
名称は中国六朝時代の詩人・陶淵明の「園日渉而成趣」の詞にちなんでいます。
平安時代前期には左大臣・源融(みなもとのとおる)が営んだ「六条河原院」の
旧蹟であったという伝説もあるとか。
拝観料500円を支払うと、こんなに立派なガイドブックが贈呈されます


入口を入るとすぐに大きな桜の木が


桜の名所ですもの。春は素敵な光景でしょうね。
高石垣

枳殻

実もなっていました。

周囲に枳殻が植えてあったことから、別名「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれています。
渉成園十三景・滴翠軒(てきすいけん)

十三景・傍花閣(ぼうかかく)

渉成園のシンボルともいえる楼門です。
十三景・回棹廊(かいとうろう)

唐破風屋根が味わいを出しています。

駅から徒歩10分の立地なので、京都タワーも見えます。

十三景・侵雪橋(しんせつきょう)

都会の中のオアシス・・・といえば良い表現ですが

これだけ美しい庭園ですのに、マンション等の高い建物が背景に
どど〜んとあるのはなんというか

堤先生が言われていた「残しておきたい景観」に選ばれているのもうなづけます。
昔からの景観を残していく事はなかなか難しいことでしょうが、
色々と考えさせられました



住所:京都市下京区下珠数屋町通間之町東入ル東玉水町
TEL:075-371-9210(東本願寺本廟部参拝接待所)
拝観時間:9:00〜16:00
拝観料:500円以上