2013年04月09日
千本閻魔堂 2013
上品蓮台寺から少し南へ。千本閻魔堂に行きました。

普賢象桜も満開か・・・

と思いきや、こちらは違う桜なんだとか。

わざわざ「普賢象桜ではありません」と書かれた看板がありました
こちらは「琴平桜(ことひらさくら)」という種類なんだそうです。




ぷっくりとしていてほのかにピンクの桜。綺麗です。
有名な「普賢象桜」はこちら

なるほど、よく観察すると琴平桜とは花の形や蕾の形、葉の色も違いますね。

それはちょうど境内の西北かど、十重の紫式部供養塔をおおい包むように立っている。毎年四月半ばともなれば、白いかれんな花をつけ、本堂の恐ろしい閻魔大王様の顔におびえたこどもたちをなごませる。
普賢象桜・・・別に「えんまどうふげん」とも呼ぶ。花は白く。花弁の中からかわいい双葉がでて、茎が長くたれ下がる情景が、普賢菩薩の乗った白象の鼻に似ていることからその名がある。古くから銘木として知られ、これまで何度か植えつがれ、植え替えられた。
室町時代には多くの公達がこの花を見ようと寺を訪れたと記録にある。相国寺の僧・横川景三はまた、こううたった。
七年不見普賢堂
蹀亦東西難過墻
乱後逢花春似夢
一枝晴雪満衣香
「まことに見事な花じゃった。貴公も一度、見て参られよ」
後小松天皇は、足利義満につくづくともらした。
応永十五年(1408)の春である。その日、後小松天皇は義満から、その北山殿に招かれたのだが、逢中、ふらりと引接寺に疲れた足を休めたときであった。
「少しでも、お疲れのなぐさめになりますれば・・・」
寺の僧が一枝の桜を手折ってきて、つっと差し出した。
小さいが、その淡い色は清純そのもので、天皇、いたく感服してしまったという次第である。
「その花の色、形・・・この世のものとは思われぬくらいでのう」
「帝がそうおっしゃるのなら、この義満、ぜひにも参りまさねば・・・」
義満もすっかり心を奪われた。そして執権機斯波吉重を遣わすと
「これからは、桜の盛りを期して狂言をとり行うべし」と伝え、その費用に米五十石を与えた。以来、この下賜米は江戸期になっても続けられた。
とくに江戸期は、この花の散りざまが、一ひら二ひらでなく、茎のままぽとりと落ち、さながら囚人が首を切られるのに似ているというので、所司代は花を獄舎の囚人に見させ、仏心を起こさせたともいわれる。
この普賢象桜には、古来二種あって、一種は嵯峨小倉山の「二尊院ふげん」(山桜系)、今一種は「えんまどうふげん」(里桜系)で、普賢象桜発祥の地である。往昔、桜といえば一重であった中、このあつもの桜には心を動かされたことであろう。
また、この桜は房ごとに落花するため、実も種も取れない。どうしてできるかと言えば、まともな桜が多くある中に突然変異の如くして生まれる。故に往昔、この地は「千本の桜」といわれるように桜がたくさん植わっていた。この有様は「洛中洛外図」(上杉本)にもあらわされている。
花弁からその象徴である2本の茎がくっきりと

まだ5分咲きといったところでしょうが、前回伺った時よりも花が咲いていたので見応えがありました。
満開となり、花ごと散ってしまう様子もいつか見てみたいものです。
普賢象桜と十重の紫式部供養塔、立像


普賢象桜も満開か・・・

と思いきや、こちらは違う桜なんだとか。

わざわざ「普賢象桜ではありません」と書かれた看板がありました

こちらは「琴平桜(ことひらさくら)」という種類なんだそうです。




ぷっくりとしていてほのかにピンクの桜。綺麗です。
有名な「普賢象桜」はこちら


なるほど、よく観察すると琴平桜とは花の形や蕾の形、葉の色も違いますね。

それはちょうど境内の西北かど、十重の紫式部供養塔をおおい包むように立っている。毎年四月半ばともなれば、白いかれんな花をつけ、本堂の恐ろしい閻魔大王様の顔におびえたこどもたちをなごませる。
普賢象桜・・・別に「えんまどうふげん」とも呼ぶ。花は白く。花弁の中からかわいい双葉がでて、茎が長くたれ下がる情景が、普賢菩薩の乗った白象の鼻に似ていることからその名がある。古くから銘木として知られ、これまで何度か植えつがれ、植え替えられた。
室町時代には多くの公達がこの花を見ようと寺を訪れたと記録にある。相国寺の僧・横川景三はまた、こううたった。
七年不見普賢堂
蹀亦東西難過墻
乱後逢花春似夢
一枝晴雪満衣香
「まことに見事な花じゃった。貴公も一度、見て参られよ」
後小松天皇は、足利義満につくづくともらした。
応永十五年(1408)の春である。その日、後小松天皇は義満から、その北山殿に招かれたのだが、逢中、ふらりと引接寺に疲れた足を休めたときであった。
「少しでも、お疲れのなぐさめになりますれば・・・」
寺の僧が一枝の桜を手折ってきて、つっと差し出した。
小さいが、その淡い色は清純そのもので、天皇、いたく感服してしまったという次第である。
「その花の色、形・・・この世のものとは思われぬくらいでのう」
「帝がそうおっしゃるのなら、この義満、ぜひにも参りまさねば・・・」
義満もすっかり心を奪われた。そして執権機斯波吉重を遣わすと
「これからは、桜の盛りを期して狂言をとり行うべし」と伝え、その費用に米五十石を与えた。以来、この下賜米は江戸期になっても続けられた。
とくに江戸期は、この花の散りざまが、一ひら二ひらでなく、茎のままぽとりと落ち、さながら囚人が首を切られるのに似ているというので、所司代は花を獄舎の囚人に見させ、仏心を起こさせたともいわれる。
この普賢象桜には、古来二種あって、一種は嵯峨小倉山の「二尊院ふげん」(山桜系)、今一種は「えんまどうふげん」(里桜系)で、普賢象桜発祥の地である。往昔、桜といえば一重であった中、このあつもの桜には心を動かされたことであろう。
また、この桜は房ごとに落花するため、実も種も取れない。どうしてできるかと言えば、まともな桜が多くある中に突然変異の如くして生まれる。故に往昔、この地は「千本の桜」といわれるように桜がたくさん植わっていた。この有様は「洛中洛外図」(上杉本)にもあらわされている。
花弁からその象徴である2本の茎がくっきりと


まだ5分咲きといったところでしょうが、前回伺った時よりも花が咲いていたので見応えがありました。
満開となり、花ごと散ってしまう様子もいつか見てみたいものです。



Posted by 芙蓉(ふよう)
at 13:50
│桜