2013年04月13日
廣誠院(こうせいいん)
結局もう足も疲れ果てていて、時間もなくなってきましたので平安神宮は断念することに。
以前から伺ってみたかったところ「廣誠院」の特別拝観に向かいました。

長州藩邸跡に建つ明治の数寄屋建築
二条木屋町、ホテルオークラの裏に建つ廣誠院は、明治の建築業の発展を担った旧薩摩藩士・伊集院兼常が幕末の長州藩邸の跡地に自らの邸宅として明治25年(1892年)に建てたものです。後に廣瀬家の手にわたり、臨済宗の寺院として今日までひっそりと守り継がれてきました。京都市指定文化財である建物と京都市指定名勝である庭園には近代数寄者として建築造園に類いまれな手腕を振るった伊集院兼常の工夫が随所に見られます。西洋化する明治期の中、洗練された日本の数寄を結集した伊集院兼常の邸宅を特別公開致します。


北山杉の絞り丸太を使用した床柱、春慶塗のかまち、趣のある火灯窓など随所に数寄屋造りの工夫が凝らされ、親交の深かった元老山縣有朋から送られた菊桐紋をすかした欄間、大久保利道の書など幕末・明治を駆け抜けた伊集院兼常の世界が出現します。

近世の小堀遠州と評された伊集院の庭園
高瀬川から引き込まれた水流は、広間や茶室をくぐりながら庭園を南北に縦断し、再び高瀬川に戻ります。中心には花崗岩でできた橋のかかる涼やかな庭園は、木屋町の雑踏から隔絶された空間が作り出されています。

建物と庭園が調和する近代造園の先駆
池中の礎石から立つ一本の丸太が3mに及ぶ深いひさしを軽やかに支え、大きく開けた軒下が書院からの眺めを演出します。建物と庭園の調和する廣誠院は南禅寺近郊の近代庭園や作庭家7代目小川治兵衛へと繋がる京都近代造園の先駆となるものです。


茶室

お煎茶と干菓子

広間にて、ご好意でお煎茶とお干菓子の接待を受けました。
美しい庭園を眺めながら、暫しゆるりとした時間。至福の一時でした。
廣誠院
住所・・・京都市中京区河原町二条下ル東入ル一之船入町538-1
電話・・・075-354-8195
特別拝観時間・・・昼:10時〜17時、夜:18:30〜21時(初ライトアップ)
期間・・・2013年3月30日〜4月14日
拝観料・・・600円
以前から伺ってみたかったところ「廣誠院」の特別拝観に向かいました。

長州藩邸跡に建つ明治の数寄屋建築
二条木屋町、ホテルオークラの裏に建つ廣誠院は、明治の建築業の発展を担った旧薩摩藩士・伊集院兼常が幕末の長州藩邸の跡地に自らの邸宅として明治25年(1892年)に建てたものです。後に廣瀬家の手にわたり、臨済宗の寺院として今日までひっそりと守り継がれてきました。京都市指定文化財である建物と京都市指定名勝である庭園には近代数寄者として建築造園に類いまれな手腕を振るった伊集院兼常の工夫が随所に見られます。西洋化する明治期の中、洗練された日本の数寄を結集した伊集院兼常の邸宅を特別公開致します。


北山杉の絞り丸太を使用した床柱、春慶塗のかまち、趣のある火灯窓など随所に数寄屋造りの工夫が凝らされ、親交の深かった元老山縣有朋から送られた菊桐紋をすかした欄間、大久保利道の書など幕末・明治を駆け抜けた伊集院兼常の世界が出現します。

近世の小堀遠州と評された伊集院の庭園
高瀬川から引き込まれた水流は、広間や茶室をくぐりながら庭園を南北に縦断し、再び高瀬川に戻ります。中心には花崗岩でできた橋のかかる涼やかな庭園は、木屋町の雑踏から隔絶された空間が作り出されています。

建物と庭園が調和する近代造園の先駆
池中の礎石から立つ一本の丸太が3mに及ぶ深いひさしを軽やかに支え、大きく開けた軒下が書院からの眺めを演出します。建物と庭園の調和する廣誠院は南禅寺近郊の近代庭園や作庭家7代目小川治兵衛へと繋がる京都近代造園の先駆となるものです。






広間にて、ご好意でお煎茶とお干菓子の接待を受けました。
美しい庭園を眺めながら、暫しゆるりとした時間。至福の一時でした。


住所・・・京都市中京区河原町二条下ル東入ル一之船入町538-1
電話・・・075-354-8195
特別拝観時間・・・昼:10時〜17時、夜:18:30〜21時(初ライトアップ)
期間・・・2013年3月30日〜4月14日
拝観料・・・600円
Posted by 芙蓉(ふよう)
at 16:00
│特別公開